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猫沢エミさん「自分の不完全さを受け入れ、小さなことから積み重ねる」パリ移住を経ての気づき

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猫沢エミさん「自分の不完全さを受け入れ、小さなことから積み重ねる」パリ移住を経ての気づき

2022年にパリに移住し、パートナーと2匹の猫と暮らす猫沢エミさん。パリマグが最初にお話を聞いたのはコロナ禍の2021年9月、「来年パリに移住する予定」というお話を聞きました。その後、渡仏したばかりの2022年春にも猫沢さんの”今”を教えていただきました。

そこから2年。再びのおしゃべりの時間。最近の暮らし、心境の変化、そしてこれからのことをお聞きしました。

猫沢エミ

ミュージシャン・文筆家・映画解説者・生活料理人。26歳の時に、シンガー・ソングライターとしてデビュー。2002年にパリへ移住し、その後はパリと日本を行ったり来たりの生活を送る。2007年より10年間、フランス文化を紹介するフリーペーパー『BONZOUR JAPON』の編集長を務める。超実践型フランス語教室、にゃんフラも主宰。著書に『ねこしき: 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる』、『猫沢家の一族』など。ミッシェル・オリヴェの子どものための料理シリーズ・第三弾『コンフィチュールづくりは子どもの遊びです』(河出書房新社)訳:猫沢エミ が9月に発売。2022年2月より、あらためてパリへ移住。

Instagram:@necozawaemi

 

うまく行かない日もあるけど、時間がかかっても新しいことは挑戦できる

自宅で料理をする猫沢さん

―パリに移住して2年。前回、お話を聞いた時はまだ引っ越したばかりで、「これから!」という状況でした。あのあとどのように過ごされていたのですか?

猫沢:日本を出るとき、生前整理に近いくらい断捨離をして、家も手放し、わずかな荷物と猫2匹を連れてパリへ来ました。

16年のブランクを経てのパリでの暮らし、50代からのフランス語の生活…そして、パリに骨を埋めるぞみたいな変な気負いもあったんでしょうね。パリに来てすぐの頃は「あれ…なんだか難しいぞ…」という感じがありました。今思うと最初のあの頃はずいぶんストイックに考えていたなと思います。

―そうだったんですね。乗り越えるターニングポイントはあったのでしょうか?

猫沢:いくつかありますね。当時、ロシアのウクライナ侵攻がはじまったばかりで、物流が乱れていたこともあり、日本から送った荷物がパリに到着したのは9ヶ月後でした。パリの部屋に日本から荷物が届いて、長年使っていた食器や調理器具を棚に入れたときに「私の時間が戻ってきた」と感じたんです。

東京のマンションで猫たちと暮らしていて、楽しいことも苦しいこともいろんな思い出があって、その時間を一緒にともにしてきた道具たちが日本からやってきたことで、「これでいいのだ」と思えた。

若いうちの移住ならば、マリー・アントワネットみたいに国境で全部裸になってフランスのものに囲まれた生活に切り替えるというのでも良かったんでしょうけど、50年の間、自分の国で暮らしてきた時間を背負っている。パリですべてをはじめるのではなく、日本で培ってきたものもパリに持ってきて、一緒に暮らせばいいんだと思えたんです。

机の上に乗る猫と食事をする猫沢さん

―一度目の移住でパリに住んでいた頃とは心持ちも違うのでしょうか?

猫沢:以前パリに住んでいたのは30歳のとき。当然、その頃とはあらゆる条件が違うわけですよね。フランス語のレベルも、フランスに関する知識も、人間関係も、フランス人のパートナーと一緒に暮らすための移住という点も違う。自分自身もそのことを考慮に入れていなかったから気負ってしまったんだと思います。

その頃、パートナーからは「俺がいるんだよ、見えてる?どうして1人でやろうとするの?」と何度も言われましたね。「フランス人という便利な俺がいるのに何で使わないんだ。ここから先2人でやっていくためにパリに来たんでしょ」と言われてハッとしました。

1人で生きていくためにパリに来たんじゃなくて、2人で生きていくためにパリに来たのだということに改めて気づいたんです。自分の力で生きてきた時間が長いから、自分のことは自分1人でやるっていう感覚から抜け出せなかった。一人暮らし病も重症だなと思いましたね。

あとはやっぱり言語の問題。フランス語教室を主宰したり、翻訳の仕事もしたりしていて、フランス語はわかるとはいえ、実生活の中で会話をするとなると16年のブランクは大きかった。実戦の会話スピードに脳がついてこなくて苦労しました。わかっているのに出てこないというモヤモヤした状態が数ヶ月続き、疲れてしまって…。

初年度は仕事も忙しかったし、いろんなチューニングにも時間がかかったので、パートナーともよく喧嘩しましたね。もちろん文化の違いがあるから、何回も話し合いながら関係を1から作り直していきました。あまりにもいろんなことが違うので。だけど、「違うからわかりあえない」じゃなくて、「違うからおもしろい」と捉えて、どうしていざこざが起きたのかということをとことん話合うんです。

喧嘩のあとに、今どうしてそういう行動をしたのか、なんでこういうことを言ってしまったのかをお互いが冷静に考えて、正直に言葉にすることで2人の目線を揃えられるようになってきた。2年7ヶ月の間、そういう時間を積み重ねて少しずつ理解が深まってきたという感じです。

―2年7ヶ月経ち、今はどのような感じなのでしょうか?

猫沢:日に日にフランス語力は上がってきています。脳がフランス語とバチっとコネクトしたのはたしか移住の10ヶ月後くらい。本当にある日突然、フランス人と話しているときに切り替わった感じでした。その瞬間から、昔の感覚がよみがえってきて、単語やフレーズの扉が開いてぶわーと溢れ出てきた。そこからちょっと気が楽になって、大丈夫じゃんと思えるようになりました。

年を取ったら語学は難しいと言いますけど、50歳の脳は、まだまだ可能性ある!って(笑)。もちろん若いときに比べたら何かを覚えるスピードは落ちるけど、さまざまな分野での高い経験値がある年齢だからこそ、少し時間はかかっても新しいことはできるんだなと。「できない」と思わなければ可能性は広がる、自分で限界を決めちゃだめだなと思った瞬間でした。

やってみた先にあるのは無限の新しい可能性と選択肢

自宅のデスクで作業する猫沢さんとそばによる猫

―年齢を重ねても新しいことに挑戦できるというのは励みになります。

猫沢:50歳で移住なんて言ったら「人生、賭けに出て大丈夫?」って思う人もいるかもしれません。もう一度フランスで、彼と一緒に暮らしてみたかったのでフランスに来た。覚悟というほど鋭いものじゃなくて、やってみたかったからやってみたわけなので、その結果、ダメになってもいいと思うんです。どんなかたちであれ最後まで見届けることができるんだから、やって良かったと思える。

彼とは長い間、日本とパリで遠距離の関係でしたが、コロナ禍の終盤は、互いの意思の疎通が取りにくくなってきていました。いくらテレビ電話で話せても、同じ空気を吸って話さないと共有できないものがある。そのまま日本にいたら、きっとこの関係は終わっていたと思います。

リスクがあるし、ブランクがあるし…とおよび腰で決断しないままでいたら、おばあちゃんなったときに、なんで行かなかったんだろうときっと後悔していたと思う。やってみた先にあるのは、成功か失敗ではないんですよ。やってみた先には無限の新しい可能性と選択肢が生まれる。1つ道を選んだら、その先で枝わかれして…っていうのを繰り返しているんです。成功か失敗で考えると怖くなるし、生き方としてあんまりおもしろくない。選択肢を広げるためにもやっぱりチャンスが揃ったときは、とにかく余計なことを考えずに行動するというのが大事だなとあらためて思いました。

―実際、パリに行って選択肢は増えましたか?

猫沢:それはもう増えましたね。日本にいたときは、フランスに行くか日本に留まるかの選択肢しかなかったのですが、フランスに来た途端に、「別にフランスで骨を埋めなくてもいい」と思えるようになった。

フランスの地方も素敵だし、ポルトガルやスペインでのんびり暮らすのもいいなとか。3ヶ月日本で仕事をして、残りはフランスで過ごすというような生活だっていいよねと彼とは話しています。あらゆる可能性があるという状態で日本を眺めると、日本もやっぱりいいなとか、東京じゃなくて地方に暮らすのもおもしろそう、というふうに思えてきて。もうここから先は選び放題(笑)。今は、すべてが可能性であり、どんな未来もあり得るし、それが楽しみ。だいぶ気が楽になってすごくポジティブです。

日本にいたときは仕事ばかりしていて、東京に家も買ってしまっているし、日本から出るのもどうしようか…と迷うくらい小さくなっていたけど、フランスに来たら先のことはわからないから決めなくていいんだという感覚になったんです。

飼い猫と触れ合う猫沢さん

―移住後は、パートナーであり画家のヤンさんと一緒に「ヤンヤンプロジェクト」という新しいプロジェクトもスタートされたんですよね。

猫沢:渡仏する前から何か一緒にできたらいいよねという話はしていたのですが、具体的なビジョンまでは見えていなかったんです。日本を発つまでの5、6年の間で立て続けに大きな別れがあったこともあり、いろんなことに深く打ちのめされているようなメンタルでした。

そんなときに、彼からクリスマスプレゼントとして愛猫のピガとユピのポートレートをもらったんです。それを見て、似ているんじゃなくて、そこに魂が宿っていると感じて…。その瞬間に「これだ!」と。

すべてのアイデアが結集して、関わる人たちも動物たちもみんなが癒やされるプロジェクトになるだろうというビジョンが見えて始めました。そこから立ち上がったのが動物保護活動寄付金付きのオリジナルポートレートを描く「ヤンヤンプロジェクト」です。

―それもやっぱりフランスに来たことで開けた選択肢なのでしょうか?

猫沢:そうですね。もちろん日本とフランスの遠距離で積み重ねてきた長い時間があった上で、一緒に暮らして、再び互いを知るということを経て見えてきたものです。猫たちも含めて新しい4人の家族の時間を過ごしたから生まれてきた。フランスに来て、何もないところから扉を開いたからこそ得られたチャンスだと思いますね。

―飛び込んでみると選択肢が広がるというのがすごくよくわかるエピソードですね。

猫沢:移住するとなると、お金や家、仕事の準備をしなくてはいけないですよね。もちろんある程度準備は必要ですけど、でもすべてが決まってないからじゃないと行けないなんてことはなくて、行ってからしか開かない扉もあるんじゃないかな。

パリって、下心なく純粋にチャレンジする人に、懐を開いてくれる街なんですよ。

今日の私の人生は1回だけ。毎日やりたいことをやる。

猫沢さんが自宅で飼っている猫

―猫沢さんの話を聞くと自分の意思で決めるということがすごく大切なんだといつも気付かされます

猫沢:それはすごく大事なことで、自分で決めたということが自信にもなるし、自分を信じてあげたことでこの結果があるんだって思える。その経験を積むとチャレンジすることが怖くなくなるんですよね。選択を間違うということもあるかもしれないけど、それも通過点。何かを得られることには変わりはないと思います。

「◯歳だからもう遅い」「女だからできない」「自分には無理だろう」なんて自分にカテゴリーや制限を作っちゃうとできなくなるから、作らないほうがいい。それよりも将来、こういう心持ちで生活をできるようになっていたらいいな、ということを思い描いていたほうが、「これだ」という時に飛び込めるし、決断できると思います。

―「いまだ!」「これだ!」と気付けるようになるんですね。 

猫沢:人間も野生の動物みたいな勘があるんですよ。最近はパソコンやスマホみたいな心や脳みそを外側に出す機械があるから気づかないけど、ちゃんと備わっている。

たまにはそうした機械をオフにして、「私は何がやりたいの?」って自分自身に聞いてみることは大事。「今だ、これだ、この人だ、この仕事だ、これが好きだ」とか、そういうのが直感的にわかるようになるためにも。

公園のベンチでくつろぐ猫沢さん

―これからやりたいことの計画はありますか?

猫沢:パリに来てから立て続けに書籍を出してきて、アウトプットばっかりしていたから、そろそろインプットをしないと、新しいものが出てこない。彼から「フランスに移住したんじゃなくて、ここの家と向かいのスーパーに移住したんだよね」と言われるくらい家から出られない生活だったので(笑)。今は、いかに「やらないこと」をやるかっていうのが目標です。もう少し余白の時間を作りたいですね。

とはいえ、新しい連載の準備をしたり、絵本の翻訳に取り組んでいたりいろいろと控えています。

30代みたいにガンガン計画を立てて、新しいことをどんどんやっていくフェーズではないので、無理をせず、ちゃんと寝てご飯を食べられて、ちょっと安定感がある状態をキープしながらやってく。そのなかでやるべきこと、もっとやりたいことって自然と見えてくると思うんですよね。

公園を歩く猫沢さん

―猫沢さんは今後の目標はありますか?

猫沢:あんまり立てないんですよね。目標が見えなくて不安になることってよくありますよね。でも、目標って見えないものなんですよ。そこに不安を感じる必要はない。もし目標が見えなかったら、見えていないことをそのまま受け止めればいいんじゃないかと思っています。

今日の私の人生は1回しかないから、毎日やりたいことをやる。そして、やりたくないのにやらなきゃいけないことをしっかりやるには? 絶対やりたくないことをいかにやらずに済ませるにはどうしたらいいのかをちょっと考える。

でもそれは、大げさなことじゃなくて、生活の小さなところをちょっと変えるだけでいいんですよ。わからなくなったパスワードの問題を解消してみるとか、水道の接続部分についているカルキを取るだとか。日々のなかでちょっとトラップになっていることや、気になっていることを1個だけ片付けるみたいな感じでいいと思うんです。

そうやって小さいことを積み重ねていくことで、人生を変えるような大きな決断も自分の意思でできるようになる。こうやって偉そうに言っているけど、全部自分に聞かせていることばっかりです。

あれもこれもやらなきゃって、朝からバタバタしていると呑気なフランス人(彼)が「人間なんだからできなくて当然じゃん。日本人はすぐ100%を求めるけど、フランスなら最高でも70%だよ」とか言うんですよ(笑)。「その残り30%には何があるの?」って聞いたら、「疲れたとか、悲しいとか、楽しいとか、ヒューマンな余白だよ」と。

日本人の完璧を求める姿勢もすばらしいし、フランスの70%でOKな姿勢ゆえうまく進まない部分もあります。でも、自分の不完全さを受け入れることや相手の不完全さを認めるような余白は、私たちにも必要なのかもしれないなと感じています。

そうやって完璧じゃない自分のまま、小さい問題解決を積み重ねていくと、それこそ移住みたいな大きい決断や変化のときにも、この感じで乗り切れるだろうというはずみができると思うんです。

考えても一気には解決しないことを悩むような時期ってあると思うんですけど、何年も状況が変わらないようなことは一度横に置いておいて、自分がちょっとトライしたら良くなるようなことを先に積み重ねていく。小さな達成感を積み重ねていくと楽になるし、そういう小さな積み重ねこそが自分を作っていくんだと思います。

 

***

 

大人になってからの挑戦は、先のことを考えるあまりどうしても臆病になってしまいがち。完璧でない自分を受け入れること、できることを積み重ねていくことが、新しいチャレンジのためのヒント。

そして、やってみた先には、可能性と選択肢があるという希望を教えてくれた猫沢さん。年を重ねることも、新しく何かに挑戦することも、少し楽しみになるようなお話でした。

撮影:井上実香

猫沢エミさん「自分の不完全さを受け入れ、小さなことから積み重ねる」パリ移住を経ての気づき

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