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「今日一日、良い日だった?」パリへ移住した猫沢エミさんの“いま”

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「今日一日、良い日だった?」パリへ移住した猫沢エミさんの“いま”

パリと日本を行き来する暮らしを20年近く続けていた猫沢エミさんが、今年2月、ついにパリに完全移住。日本でいろいろな物を手放し、パリで新たな暮らしを始めた猫沢さんは、いま、どんなことを感じているのでしょうか。移住を決断した理由や渡仏準備のこと、フランス人パートナーとの関係についても話してくれました。

前回のインタビューから半年、より良い暮らしを求めて進み続ける猫沢さんの人生哲学を紐解きます。

猫沢エミ

ミュージシャン・文筆家・映画解説者・生活料理人。26歳の時に、シンガー・ソングライターとしてデビュー。2002年にパリへ移住し、その後はパリと日本を行ったり来たりの生活を送る。2007年より10年間、フランス文化を紹介するフリーペーパー『BONZOUR JAPON』の編集長を務める。超実践型フランス語教室、にゃんフラも主宰。近著に『ねこしき: 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる』、『猫と生きる。』など。2022年2月より、改めてパリへ移住。

Instagram:@necozawaemi

渡仏の決断。「私はこうする」と、決めて動くことが大事

「今日一日、良い日だった?」パリへ移住した猫沢エミさんの“いま”

―ついにパリに移住されたそうですが、渡仏準備はどのように進めたのですか?

猫沢:ビザ、社会手続き、東京のマンションの売却という大きな3つの山があって、その山を日々ピョンピョンと渡り歩いてきた感じがしています (笑)。本の出版が落ち着いた11月から準備を始めたのですが、仕事終わりの23時頃から書類作成をする日々でした。

ビザが取れないと何も始まらないけれど、複雑な手続きが絡み合っているので、取り始めてしまったら、もう後戻りは難しいと感じました。移住を見越して、ずっと前から東京の家を売ろうと動いていたのですが、いろいろあって直前まで買い手が決まらなかったりもして…。ネコたちを連れていく手続きもなんとか終わらせ、いろんな都合がついた2月にパリに渡りました。

「フランスに来たら何でも手伝うから、とにかく辿り着いて」と、彼(猫沢さんのフランス人のパートナー)が言ってくれていたので、パリでの社会登録手続きの初期段階は彼のサポートのおかげもあって入国後1週間で終えました。

―渡航状況も不安定な時勢で、2匹のネコたちを連れた渡仏は大変だったのではないですか?

猫沢:本当は、彼が日本に来て引越しを手伝ってもらってから、ふたりでネコたちを連れてフランスへ行こうという計画だったんです。コロナの終焉(しゅうえん)を2年間待っていたけれど、何ひとつ状況は好転しなかった。状況が変わらないからといって動くことができないわけではないし、行ってしまったほうがいい、行った先で考えたほうがいいと思うようになりました。

パリに到着して10日後にウクライナで戦争が始まって…。ロシアを迂回する長時間フライトはうちのネコたちには耐えられなかっただろうし、本当にギリギリのベストタイミングだったと思います。そんなすったもんだを経て、偶然バレンタインの日にパリに飛ぶことができたけれど、ロマンチックな理由で決めたわけではないんですよ(笑)。

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―ずっとフランスと行き来する暮らしをしていた中で、なぜ、いま移住を決断したのでしょうか?

猫沢: 5年前から彼と一緒に計画していて、ずっと心積もりはあったんです。でも、いま強行しようと決めたのは、コロナが続く中で彼と少しずつ嚙み合わなくなり、お互いの体感が湧かなくなってきていたことですね。長い付き合いの中で、こんなに彼のことがわからなくなったのは初めてで、危機感を覚えました。「私がいまフランスに行かなければ、この関係は終わるかもしれない。瀬戸際にいる気がする」と、そんな話もしました。

いま、彼とパリで暮らす計画を進めないなら、それは、私が日本でひとり歳を取っていく人生を選ぶということ。究極の選択でしたね。ここまで丁寧に長く築いてきた関係なのだから、彼と一緒に暮らせばもっと幸せになるかもしれない。でも、もしかしたらダメになるかもしれない…。

だけど、この行く先を見ないでやめてしまったら、おばあちゃんになった時、なぜフランスに行かなかったのかと後悔するだろう、と。失敗してもかまわないから、とりあえず進もうと思いました。

―人生の大きな決断だったと思いますが、猫沢さんが決断する時に大事にしていることは何ですか?

猫沢:大きな人生の節目って、とにかく決めた方がいい。いままでの人生もわりとそうだったんですけど、「私はこうする」と、まずは決めて動くことが大事。どうしようって言ってばかりでは、結局、何ひとつ実行できない。もちろん途中で変更は可能で、その道で出てきたA案がダメなら、B案にしようとか、進んだ先の選択肢をひとつずつ選び取っていけばいい。最初の決断というのが、何事も一番難しいと思うんですね。

それに、いくら行きたいと思っても、条件が揃わない時って物事が動かないし、考えなくても自然と流れができていく時ってあると思うんです。だから、今回もいろいろなタイミングが重なった結果でもあるんですよね。

 

人生を旅するには、ハンドバックひとつでいい

「今日一日、良い日だった?」パリへ移住した猫沢エミさんの“いま”

―日本で築いてきたいろんなものを手放すことを、怖いと思ったことはないですか?

猫沢:手放すことって怖いし、勇気がいりますよね。実はビザを取り始めた時も、まだ迷いがあったんです。フランスへ行くことも、日本の家を売ることも怖かった。実家はまだあるけれど、両親も亡くなって廃屋同然。東京にいる弟たちの家族がうちに集まってくることも多くて、なんとなく私の家が実家として機能していたので、それをなくしてしまうことも不安でした。

でも、そういう暮らしていた景色や匂いの感じは手放しがたかったけれど、物としての家には執着していなかったですね。人は大きい財産を持つと、失うことが怖くなる。お金や物の価値観って流動的なもので、その人の状況や心の持ちようで変わると思います。決して固定された概念ではないはずなんです。

―猫沢さんにとって、長く暮らした家はどんな存在でしたか?

猫沢:家はアイデンティティを作ってきた象徴。元彼と会社を作って潰したこと、イオちゃん(猫沢さんの4代目の飼い猫)を見送った時に心に刻まれた思い出、そんないろんな歴史が家とともにある。でも「次の場所へ行くならば、ここから離れなければいけない」と、イオちゃんを亡くした時にひしひしと感じたし、この家で生きることについては十分やってきたという実感がありました。ここを手放して他の人が住むという考え方ではなく、住む人が変わればまったく違う家になる。鍵を業者に渡した瞬間に、私たちが幸せに暮らしていた家がそのまま天国にお焚き上げされる。ファンタジーだけど、そんなイメージです(笑)。

それに、どこに住んでも、その人が良く暮らそうと心がけると快適な空間になると思うんです。広いわけでも豪華なわけでもないけれど、妙に落ち着く人の家ってありますよね。それって、暮らしている人の心持ちが落ち着いているから。誰が暮らすかでその人の家になるのなら、借家だろうが、どこだろうが、すぐに私の家になるという自信を持てるようになりました。

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―猫沢さんがより良く生きることを意識しているのは、大事な人たちを亡くした経験も大きいですか?

猫沢:そうですね。この数年で両親、イオちゃん、親友を見送りました。もしコロナになる前に渡仏していたら彼らを見送れず後悔していただろうし、そう考えるとやっぱりこの期間、私は日本にいるべきだったのだと思います。大事な人たちが続けて亡くなって、身体に宿っていたものが去っていく瞬間を体感して…いつか人生は終わるんだから、好きなことをやりなさいって、彼らが残してくれたメッセージっていうのかな、そう言われた気がしましたね。去っていった人たちが残された人たちに幸せになってもらいたいというのは当然だろうし、いつまでも泣いて弔ってばかりではなく、一生懸命いまを生きないといけない。幸せだなって思う瞬間に、見送った人たちが周りで笑ってくれているんじゃないかと思ったりして。

いまフランスで、生きるとか、存在しているとか、ここにいるということを痛いほど感じられるのは、私が限りなく死に近い世界にいた数年間があったからだと思います。日本では、手放す、見送る、捨てる、切り離すという「死」の作業だった。それがフランスに来て、社会登録して、家を借りて、必要なものを買って、仕事を始めて…「生」のエネルギーになったんです。12時間ほど飛行機に乗っただけで人生がここまで変わるのかと、私自身あまりついていけなくて、到着して最初の1週間は茫然としていましたね(笑)。

「今日一日、良い日だった?」パリへ移住した猫沢エミさんの“いま”

―多くのものを手放してきた中で、逆にフランスに連れてきたのはどんなものですか?

猫沢:娘たち(初代メス猫・ピキと4代目メス猫・イオ)の遺骨は手放せなかったですね。“猫沢組(猫沢さんと猫たちの一家を彼女はそう呼ぶ)”として、みんな連れてきました。でも断捨離や大移動をしてみると、本当に生きるために必要なものは少ししかないなとわかります。

コロナと戦争の影響で未だに引っ越し荷物が到着していないんですよね。しかも、手持ちのスーツケースもスペースが限られていたので、服をあまり持ってくることができず、3、4着を着回しているのですが、フランス人は基本的にみんなそうだから誰も気にしない(笑)。

映画『かもめ食堂』のワンシーンを思い出しました。もたいまさこさんがフィンランドにやって来たけれど、スーツケースが届かなくて、ハンドバッグひとつでマリメッコに服を買いに行くんです。人生を旅するには、ハンドバックひとつでいい。素敵な考え方だなと思いましたね。親の介護を終えて、人生の酸いも甘いも嚙み分けた上で、残りの人生を私らしくどうやって生きようかと考えて旅に出るというのも、いまの私の状況に似ている気がします。

 

パリで感じる、いまを生きる実感

「今日一日、良い日だった?」パリへ移住した猫沢エミさんの“いま”

―いまのパリ暮らしは、20年前に暮らしていた時とは心の持ちようが違いますか?

猫沢:まったく違いますね。それは、私自身が人として成長したということかな?と。あの頃は、フランス語を勉強することを目的に、右も左も分からない中でいろんなことを模索していました。いまは一通りわかるし、比べ物にならないくらいフランス語も使えるようになった。だからこそ、私がまたパリで発信することに意味があると感じられるし、ステップアップしていると思います。

やっぱり若いってすごいことで、失敗しても、心も体もいくらでも修復がきく。30代と同じことをいま50代半ばの私ができるかと言ったら、体力的にも難しい。そもそもパリへ来ることなく、日本でこのまま働き続けていたら、早死にするかもしれないなと真剣に思ったんですね。だから今回は、残りの人生を楽しみながら、仕事とバランスを取って人間らしい暮らしをしようとしています。

―社会情勢も刻々と変わる中、パリの街自体にも変化を感じますか?

猫沢:コロナにしろ、戦争にしろ、この世で起こらないことなんてないってことですよね。私たち日本人は自然災害には慣れていて、不可抗力で生活を奪われたりすることには心構えがある。でも日本の社会情勢は安定しているので、フランスのようにデモやテロだったり、同じヨーロッパで戦争が起こったり、そういう社会的な問題には耐久性のありどころが全然違う。だから、いろんなことをわかっているつもりでパリに来たけれど、改めて20年前とは違うと思いました。ある意味、毎日がカルチャーショックです。

―4月にフランス大統領選もあったばかりですが、猫沢さんはどのように見ていましたか?

猫沢:フランス人は、政治に関する話をよくするんです。フランスの政治基盤は表向き左派が強い印象で、昨日も若い友人とそんな話をしたし、スーパーの店員さんや、子どもたちでさえ政治の話をしています。リアルタイムでダイレクトに政治が自分たちの生活に影響すると自覚しているし、その危機感があるんですよね。

でもフランス人ではない私は、話すことはできても、国籍をフランスに変えない限り投票はできない。フランス国籍に変えた友人がいて、その時は、自分の国を捨ててまでこの国の政治に参加したいって、どういう気持ちなんだろうと思っていたんですが、実際にパリで根を張ろうと暮らし始めて、これからのことを考えた時、選挙権を持つことができないという事実にはかなり落ち込みましたね。

いつまで蚊帳の外で移民として生活していくのか、自分がどう生きていきたいか左右することを決める権利が私にはないのか、と。彼には、「その気持ちはわかるけど、もう少し楽に考えてみたら?フランスに住民登録して税金を払って、十分社会に参加しているよ」と励まされました。

「今日一日、良い日だった?」パリへ移住した猫沢エミさんの“いま”

―すごいスピードでパリに順応されているように感じますが、暮らしを整えたいま、猫沢さんの考える人間らしい暮らしができていますか?

猫沢:かなり人間らしい暮らしができています。朝7時に起きて9時には仕事を始めるから、終わる時間も早い。逆をいえば、17時に仕事が終わらないと家庭に不和の空気が流れ始め、19時を超えると「あれ?ディナーはどうするの?」みたいな(笑)。そろそろ本の書き下ろしの仕事が始まるので缶詰になることもありますが、パリで仕事を詰め込んだとしてもなぜか不思議と余裕があるんですよね。

日本との時差もちょうどよくて、すぐメールの返事をしないといけないというプレッシャーもない。こんなことを言っては、クライアントさんに失礼かもしれませんけど…、時差があるからちょっと遅れるという認識で対応してもらえます(笑)。そんな物理的な事情がない限り、日本人って、“私がこれだけ働いているんだから、あなたはなんですぐに返事しないの?”という考え方になりがちですよね。私とあなたは違うのに、同じリズムやプレッシャーを共有する無言の押し付け合いはなくしていきたいですね。

―彼との暮らしはどうですか? 実際に暮らしてみて、ギャップはありましたか?

猫沢:すごく自然ですね。家事も普通にやってくれるので、話し合ってルールを決めるようなことはないです。振り返ったら、彼が洗い物をしてくれていたり。ある程度年齢を重ねたフランスの男性は、お互いの呼吸を読みながら家事を半々でやることに慣れているんですよね。家事分担のようなかわいいレベルではなく、これから一緒に生きていく上で、いろいろやらないといけないことも出てくるとは思っています。でも大事なのは、何か問題が起きた時に必ずきちんと話をすること。もちろんお互いをリスペクトすることを踏まえた上で、言葉にして丁寧に理解しあって、落ち込むことがあっても新しい解決方法を探る。遠距離の間もずっとやってきたことなので、これからもそれができるうちは大丈夫だと思います。

「今日一日、良い日だった?」パリへ移住した猫沢エミさんの“いま”

―長い時間で育まれた素敵な関係ですね。これから、どのようにパリで暮らしていきたいですか?

猫沢:明日のことってわからないじゃないですか。彼より素敵な人に出会うかもしれないし、彼も私より素敵な人に会うかもしれない(笑)。日本よりもフランスの方が、明日のことはわからないというパンクチュアルな空気がありますね。だからこそ、いまを逃さず、今日をより良く生きようという意識がある。彼が寝る時に、「今日一日、良い日だった?」って、必ず聞くんですね。いろいろあったけれど、良い一日だったことを確認するためなのかな。そんなやりとりもあり、毎日「いまを生きている」ことを実感しています。

日本人とフランス人がすごく違うということはないけれど、この1杯のコーヒーをおいしいと感じる、そんな小さな幸せを確認することが、フランス人はとても上手だなと思うんです。これから先のことはわからないけど、ここで、より良い自分の人生を作っていきたいですね。

***

パリでの新しい暮らしをはじめた猫沢さん。これまで積み重ねてきた暮らしや生き方を大切にしながらも、“いま”を感じ、選び、動く。その軽やかな姿勢に、「いまを生きる」ことの大切さを思い出させてもらったような気がします。

 

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