穏やかな日差しと心地よい秋風を肌に感じられるようになりました。過ごしやすい気候に一息つきながら、ゆったりと本のページをめくってみませんか?今回は、読書の秋におすすめの短編小説を、著者とのインタビューを通してご紹介します。
静寂の中に喧騒を感じ、砂漠の砂のような乾きの中に潤いを見出すような表現で綴られた『砂漠が街に入りこんだ日』。不思議な魅力に満ちたこの作品を執筆したのは、韓国を離れ、渡仏後わずか6年でフランス語による小説を出版したグカ・ハンさん。出版されるや、フランス各誌で取り上げられ、「新年の文学的大事件」と評された本作は、今年8月に日本語翻訳版が出版され、話題を集めています。
著者のグカ・ハンさんに、母語である韓国語ではなく、フランス語で執筆した本作へのこだわりや、フランスでの生活についてお伺いしました。
グカ・ハン(Guka Han)
1987年韓国生まれ。ソウルで造形芸術を学んだ後、2014年、26歳でパリへ移住。パリ第8大学で文芸創作の修士号を取得。卒業制作の審査で作品を見た出版社・ヴェルディエ社の編集者の後押しで書籍化。本作が作家としてのデビュー作となる。
母語である韓国語ではなく、フランス語で執筆したからこその自由な表現
―作家として第1作目となる『砂漠が街に入りこんだ日』は、どのような経緯で出版まで至ったのでしょうか?
グカ・ハンさん(以下、敬称略):渡仏後は、パリ第8大学の修士課程で文芸創作を学び、その時の卒業制作として発表した作品が、今回の『砂漠が街に入りこんだ日』の原点となっています。卒業制作の口頭試問の審査員の中に、今回の作品を担当してくれた編集者がいて、「出版しないか」という提案をいただいたことが出版のきっかけでした。
―書籍化にあたり、母語である韓国語ではなく、フランス語で書かれたのはなぜでしょうか?
グカ・ハン:この作品が出版されたのは、私が渡仏してから6年後のこと。フランスに移住してからは、日常的にフランス語を聞き、話し、読んできました。そういう意味では、「フランス語で書く」という選択は、私にとってごく自然なことだったんです。
フランス語を学ぶことに苦しみはなかったし、楽しく、解放された気持ちばかりが記憶に残っています。私の母語ではない言語、つまり私のそれまでの人生や感情とは結びついていない言語を話すことで、ある種の“軽さ”を感じることができました。
さらに言えば、私はこの本を韓国語で書こうとは、考えなかったんです。この本の中に描かれている世界が、私の母語に近すぎるからかもしれません。自分が語る内容と、それを語るために使う言語の間に一定の距離を設けたかったんです。
架空の都市をモチーフにしながらも、時折差し込まれる「ソウル」の面影
―第1章の「LUOES(ルオエス)」を逆さまから読むと「SEOUL(ソウル)」になりますが、ルオエスの舞台はグカ・ハンさんから見たソウルなのでしょうか。
グカ・ハン:この本を書いていたとき、ソウルのことをしょっちゅう思い浮かべていました。きっと読む人が読めば、この本の中にはソウルのいろんな要素が見つかるんじゃないかと思います。でも、ソウルという都市のポートレートが作りたかったわけではありません。私がやりたかったのは、ある別の空間を創り出し、そこに私を投影して、私の物語を書くこと。
本作の舞台となる幻想都市「ルオエス」は、まるで分厚い、どんよりと曇った鏡に映ったさかさまの世界。それは幽霊のような存在がうごめく歪んだ世界なのです…。
―静かな雰囲気の中に、けたたましさや活気を感じることができるのは、フランスと韓国、両方を知るグカ・ハンさんならではの表現なのでしょうね。ルオエスの風景は、どことなく現在の東京と似ているように感じる部分もありました。作品作りにおいてこだわった部分を教えてください。
グカ・ハン:世界観、物語の展開、現実と夢の関係性…ひとつだけポンと切り離せるようなものではなく、すべてにおいてこだわりました。あえて1つ取り上げるなら、この本に収められたすべての短編間の“一貫性”でしょうか。登場人物たちはみな、非人間的で、なんなら敵意さえ感じるような環境で、半ば人生を諦めたように、それでも頑固に生き続けているのです。
―第二章「雪」の中の一説、「私がここに来たのは義務から逃れるためで、私がなりたくもない人物にならずに済むようになるためだった」という文章からも、そういった「頑固に生き続ける」意思を感じますね。物語の中には、グカさんの過去の体験や実話などを織り交ぜている部分はあるのでしょうか。
グカ・ハン:書くということは、ある意味、そこに書かれたことを生きるということでもあります。私の本の中には、私自身が「本当に」体験したことも、書くことを通じて体験したことも含まれていますが、「本当に」体験したことだけが重要なのではありません。私にとってはどちらもかけがえのない体験です。
―登場する人物の名前、性別、年齢が明かされずに、物語が展開していくこともユニークで印象的です。登場人物の詳細を明らかにしなかった意図はどのようなところにありますか?
グカ・ハン:この不明確さや不確定性は、ことによると韓国語に由来するのかもしれません。韓国語では、名前に男女の区別がありません。男女の性の曖昧さが言語に刻まれていると言えます。逆にフランス語では、ある人物の性別を決めないで書くことは、とても難しいことですが、その分強く興味をひかれました。
―どう捉えるかは読み手に委ねるということですね。
グカ・ハン:実を言うと、特に読者に伝えたいメッセージがあったわけではないんです。そもそもこの本を書いていた当時は、読者のことはほとんど意識していませんでした。というのも、本を出版するのが初めてだったので、「読者」というのは、私にとってどこか抽象的な存在だったんです。
でも、今あえて読者の皆さんに何か伝えたいことがあるとすれば、「好きなように、あなたのやり方で、楽しみながら本を読んでください」ということでしょうか。
「フランスで、私自身で選んだ人生を生きている」。自由を望んでの離郷で得たものとは
―韓国を離れ、フランスに移住を決めたのは、文化や言語に興味を持たれていたからなのでしょうか?
グカ・ハン:私は、渡仏以前にフランスに滞在したこともなく、改めて思い返してみても、フランスを移住先に選んだ理由ははっきりとしていません。当時、フランス料理を本場で勉強したいと言う友人になんの考えもなしに、ただついて行ったんです。
私にとって重要だったのは、「フランスに行く」ことではなく、「韓国を離れる」ことでした。韓国での生活に別れを告げる必要があったんです。
―実際にフランスという国に飛び込んで、言語を学ばれて、どのような印象を持ちましたか?
グカ・ハン:フランスは自己表現の強い国だと思います。私の体験から振り返ってみても、フランス人は自分の好きなことや幸福、愛、苦しみについても大いに自分の意見を語りますし、時には文句をつけることも。
また、フランス文化というのは、言語が大きな位置を占めている文化だと感じています。特に言葉がなくても伝わるようなシーンでさえも、あらゆることが言葉で表現され、説明されます。そのような国、文化の中で暮らすことは、私にとって新鮮でした。
―フランス語を学び始めてわずか6年で、小説を執筆されたことにも驚かされました。フランス語を習得するための特別な学習方法などはあったのでしょうか?
グカ・ハン:特別なことは何もないです。私のフランス語はまだまだ未完成で下手ですよ。それでも私はこの言語で書くことを選びました。私にとって、無知であることとか、実力が足りないことは問題ではなく、それよりも、この言語と私の間にある未知な領域を、私自身の手で埋めていくことが重要でした。だから、息苦しさを感じることなく、自分自身をより良く表現することができたのだと思っています。
―現在のパリでの生活はいかがですか?渡仏前と比べて大きな変化はあったのでしょうか。
グカ・ハン:現在は、執筆活動の傍ら翻訳の仕事もしています。1日中仕事をしていることはあまりなく、午前中に仕事をしたら、午後は読書をしたり、執筆をしたり、絵を描いたり、自由に過ごしています。
渡仏前後の大きな変化を挙げるなら「今フランスで、私自身で選んだ人生を生きている」ということ。
文化的な違いもあるとは思いますが、26年間過ごした韓国では、何を選ぶにしても「義務」がついてまわり、それに対して責任を果たすことを求められました。いい学校に入学し、毎日早起きをして学校へ通い、学食で出されたものを食べ、どうにかこうにか仕事を見つける。フランスでは、ビザにまつわる義務(それはそれで大変なものではありますが…)はあるものの、それを除けば自由。好きな友だちに会い、好きなものを食べる。ここで義務だと感じるもののほとんどは、私自らが選択して初めて生じたものであることは確かです。
―作品の中に「解放」や「自由」の空気を感じる理由がわかった気がしました。最後に、今後書いてみたいテーマや次回作の構想があれば教えてください。
グカ・ハン:既に次の本を書き始めています。それは、今作の『砂漠が街に入りこんだ日』のために書いた短編でもあるので、ある意味次回作は今作の続きと言えるかもしれません。一風変わったラブストーリーなのですが、詳細は伏せておきたいと思います。楽しみにしていてください!
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洗練された言葉で紡がれた8つの物語は、時に混乱を招き、時に共感を促し、時に希望を抱かせるでしょう。章をまたいで繰り返し登場するモチーフの関連性に、思わずページをめくる手が止まることも多いかもしれません。不思議で美しいグカ・ハンさんの世界は、迷路に迷いこんだにも関わらず、常に落ち着いていられるような、そんな心地よさがついて回ります。
あとがきにも記載されていますが、「放火狂」の物語は、2008年の南大門放火事件が、「真珠」の物語は、2014年のセウォル号事件がインスピレーションの源になっているそうです。その事実を知った上で読み返せば、また違った感想と印象が心に残るでしょう。ぜひ、あとがきの隅々まで読んでみてください。
グカ・ハンさんの鮮烈なデビュー作は、皆さんを「ここではないどこかへ」と誘ってくれるに違いありません。慌ただしい日常の中、息苦しさを感じている人にぜひ手に取ってもらいたい作品です。
- ■書籍情報
- 書籍名:砂漠が街に入りこんだ日
- 著者:グカ・ハン
- 訳:原正人
- 出版:リトルモアブックス
- あらすじ:
- そこは幻想都市、ルオエス(LUOES)。人々は表情も言葉も失い、亡霊のように漂う。「私」はそれらを遠巻きに眺め、流れに抗うように、移動している。「逃亡」「反抗」「家出」、その先にある「出会い」と「発見」。居場所も手がかりも与えてはくれない世界で、ルールを知らないゲームの中を歩く、8人の「私」の物語。
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