吉祥寺駅北口から徒歩3分ほど。穏やかににぎわう通りに、創業から15年目を迎える古本屋さんがあります。その名も『百年』。アパレルショップの2階にひっそりと佇み、多くの本好きに愛されるお店です。『百年』を営むのは樽本樹廣さん。訪れるお客さまは皆、黙々と書棚を見て回っては気になる本を手に取り、じっくりと吟味。ページをめくる音だけがほのかに響く、心地いい空間です。
その静けさが本好きの心をくすぐる『百年』ですが、お店のコンセプトは「コミュニケーションする本屋」。このコンセプトに隠された樽本さん流のコミュニケーションこそ、『百年』が多くの本好きに愛される理由なのです。
古本の価格設定は「ひとつのコミュニケーション」
店主の樽本さんが、かつて目指していたのは小説家。小説を書きながら、新刊書店でのアルバイトに精を出していたそうです。
「でも、なかなか芽が出なくて。30歳を前に、『モラトリアムはもう終わり。正職に就かなければ』と考えていたとき、新刊書店に勤めていながら、心から行きたいと思える本屋がないことに気がついたんです」。
今でこそ、個性的な本屋さんが続々と誕生していますが、『百年』がオープンした2006年当時は、お店の独自性を強く打ち出した書店は貴重な存在。特に古書店に関しては、昔ながらの古本屋さんか、もしくは大型チェーンばかりが目につく時代です。
「いわゆる古本屋さんって、どこか取っ付きにくいですよね。一見さんお断りのような空気が漂い、入るにも躊躇してしまう。その一方で大型チェーンの古書店は、あまりにも合理的。どんな本にも二束三文の値が付けられていることに、疑問を感じていました」。
その疑問を払拭すべく、樽本さん自ら『百年』を立ち上げました。明るく、爽やかなエメラルドグリーンの書棚が、古書店のイメージを柔らかく取り去っていきます。おしゃれな空間づくりに誘われてか、オープン当初の『百年』は8割ほどが女性客だったそう。
そして言うまでもなく、古本には業界で決められた価格がありません。価格設定は店主の独断なのです。樽本さんは、この価格を決める行為を「ひとつのコミュニケーション」だと言います。
1枚のしおりに宿る「また来てね」「また来るよ」
本屋さんは本を売るのが仕事。お客さまと本屋さんをつなぐのは唯一、本です。樽本さんはお店に並べる本をじっくり吟味し、その本にどれだけの値を付けるのか、価格設定に頭を悩ませます。それがなぜ、コミュニケーションになるのでしょう?
「1冊の本にどれだけの価値があるのか、僕は誠実に、時間をかけて考えます。高値を付けることもありますが、その本には高値にするだけの価値がある。本を手に取ったお客さまが『お、ここの店主は、この本の価値をわかっているな』と感じてくれたなら、それが価格を通したコミュニケーションです」。
『百年』の書棚に並ぶのは、樽本さんが想いを込め、誠実に価値を決めた古本たち。お客さんはその本を書棚から引き出し、ページを繰りながら吟味して、ちらりと価格に目をやります。そこで「買おう!」と心が動いたとき、それは樽本さんが決めた価値と、お客さんが感じる本の価値が通じ合った瞬間です。
「お客さまと店は、対等な関係でありたいと思います。昔は『何かを伝えたい』という一心で小説を書いていましたが、僕が伝えたかったことは、人類学者の中沢新一が提唱する“対称性”に近いのかもしれません。対等な相互関係を築けてこそ、人は豊かになれる。『百年』がコミュニケーションを大切にするのも、対等な関係を築きたいからです」。
そう話す樽本さんは「僕はおしゃべりが苦手(苦笑)」という物静かな方。しかし、物静かな樽本さんの仕草には、お客さんへの誠実さが宿ります。本の購入時、当たり前のように挿してくれるオリジナルのしおりも、そのひとつです。
小さく、さりげないおもてなしに「また来たい!」と思わせられます。もしかするとこれは、言葉なく交わされた「また来てね」「また来るよ」のコミュニケーションであり、本屋さんとお客さんの間に対称の関係が生まれた瞬間なのかもしれません。
店主がセレクト!パリマグ読者におすすめの1冊
「コミュニケーションする本屋」であることともうひとつ、『百年』が掲げるのが「セレクトしないことをセレクトする」こと。「セレクトしない」の言葉どおり、書棚には種々雑多な本がぎゅっと並び、ジャンルの偏りはありません。それでも「セレクトする」の言葉どおり、本の1冊1冊に樽本さんのこだわりが詰まっています。
「どんな本を取り扱うのか、オープン当初はすごく選んでいたんです。僕自身が思想やアート系の本に入れ込んでいることから、ジャンルも偏っていて…。でも、古本屋を長く営む間に、少しずつ自信がついてきたんですね。今ではどんなジャンルの本も偏りなく、自然と良さに気づき、選ぶことができます」。
そう自負する樽本さんが、パリマグ読者に向けて選んでくださった1冊がこちら!フランスを代表する写真家、ロベール・ドアノーの写真集、タイトルはずばり『パリ』です。
「おしゃれなイメージの強いパリですが、ドアノーの写真集には、パリの影の部分がしっかりと写し出されています。路上生活者だったり、見世物として生きたサーカス芸人だったり、社会から排除された人たちにカメラを向け、否定も肯定もしない。淡々とフラットに、パリに生きた人たちを見せてくれる1冊です」。
表紙を飾る『パリ市庁舎前のキス』はあまりにも有名な1枚ですね。
その価値観を感じられるオンラインショップも
古本との出合いは一期一会。今回、ご紹介したドアノーの写真集『パリ』も、すでに誰かの手に渡っているかもしれませんが、その出会いと別れこそが古本屋さんの醍醐味です。
コロナ禍の今、外出を控えている人もいるはず。そうした人はまず、『百年』のオンラインショップを覗いてみてください。店主の樽本さんは「オンラインショップは自己紹介のようなもの。実店舗と比べ、取り扱う本の数は少ないものの、『うちではこんな本に価値を見出していますよ』ということが、わかっていただけるはずです」と言います。
そして、樽本さんが大切にするコミュニケーションを実感するなら、オンラインイベントも見逃せません。『百年』はオープン当初から、著者と読者の間にある垣根を取り払うようなトークイベントを頻繁に開催。リアルイベントが難しい今は、オンラインにその場を移しています。
それでもやっぱり、古本もコミュニケーションも、リアルで触れてこそ!実際に『百年』を訪れたなら、そこにある静かなコミュニケーションに心が動くはずです。
※記事の内容は取材当時のものです。 最新の情報は、お店のHP、SNSなどをご確認ください。