慌ただしい毎日とちょっと距離を置いて、自分の時間に浸かりたい。そんなときもありますよね。何も考えずにぼーっとしたり、気になっていた本を読んだり、おいしいものを食べたり。特別なことではないけれど、気張らずに過ごせる時間は大切にしたいもの。
今回、そんなのんびりとした自分時間を求めてやってきたのは、片瀬江ノ島駅と藤沢駅の中間に位置する鵠沼(くげぬま)海岸駅。
初めて来たにもかかわらず、ノスタルジーを感じる空気が寄りそう「マリンロード鵠沼」という商店街にあるのが、今回の目的地『シネコヤ』。
左から『チコパン×クゲヌマ』のアライ チヨコさん、『シネコヤ』の竹中 翔子さん
映画と本、そしてパン。この3つが一緒に楽しめるという『シネコヤ』。お店での楽しみ方や過ごし方、そしてパンのこだわりについて、『シネコヤ』の翔子さんと、パンを焼く『チコパン×クゲヌマ』のチヨコさんにお話をお聞きしました。
貸本に映画館?不思議な空間『シネコヤ』
レトロな佇まいの『シネコヤ』は、もともと「カンダスタジオ」という地元の写真館があった場所。看板や店内のランプシェードに床のクロスなど、当時のものをそのまま生かしたり、アレンジしたり。なぜかほっとする、時間がゆったり流れるような空間があります。
『シネコヤ』のコンセプトは、「映画と本とパンのお店」。店内に入ると、まず飛び込んでくるのが『チコパン』。チヨコさんが店内の厨房で焼いているパンです。
1階奥の貸本スペースでは、映画の予告編を上映
2階建ての店内にはたくさんの本が並び、1階奥と2階は貸本スペース、2階奥では映画も流れています。
「貸本といっても外に貸し出すのではなくて、店内で1日中、本が自由に楽しめるようになっています。漫画喫茶のようなイメージに近いかもしれませんね。本を読みながらコーヒーを飲んだり、パンを食べながら映画を観たり、1日ゆっくり過ごしてもらえるような空間にしています」と翔子さん。
1日出入り自由の「1DAYチケット」を購入すれば、本はもちろん2階で流れる映画も1日中楽しむことができるんです。近所に住む方は、1年間出入り自由の「シネコヤ年間パスポート」を利用している人も多いのだとか。
2階へ続く階段。床のクロスは写真館当時のまま
2階へ上がると、1階とはまた違った雰囲気の赤いビロードで包まれた空間が広がっていました。2階には本棚、そして奥では映画が流れます。映画のサウンドをBGMのように聴きながら、この椅子(写真右側)に座って本を読む方も多いそうです。
本に囲まれた2階の空間は、懐かしさを感じる昔の映画館風。まるでタイムスリップしてきたような感覚に。映画は、1日2作品を交互に5回流れていて、毎月のスケジュールはホームページからも確認することができます。
「1日出入り自由というシステムなので、夏場だと、途中で海へ出かけて、夕日を見たあとにまた戻ってきて本を読んだり、映画を観たりという方もいらっしゃいますよ」と翔子さんが教えてくれました。海まで歩いて10分という鵠沼ならではの過ごし方ですね。
『シネコヤ』のはじまり
藤沢がご出身だという翔子さんは、鵠沼海岸にある『IVY House(アイビーハウス)』というイベントスペースで、毎月映画の上映会を行っていたそう。上映会では、映画の中を体験できるようにと、映画に合わせて会場演出をしたり、地元の飲食店の方と一緒にコラボレーションして、映画に登場する食べ物を再現する『シネフード』を出したりしていたのだとか。上映会のイベントを3年ほど続けていく中で、いつかお店を作りたいと思うようになったそうです。
1階奥の貸本スペース
「もともと映画を作りたいと思って映画の学校に通っていたんですが、自分が作らなくてもいい映画はいっぱいあるな!と思ったんです(笑)。本もたくさん読むわけではないんですが、古本屋の景色が好きなんですよね。ぱらぱらと眺めたり、古い本に囲まれた空間が好きで、わくわくするんですよね!
映画も古本も好きなんですけど、小さな映画館や古本屋さんがどんどんなくなってきていますよね。だから、映画をだけを目的に来る場所じゃなくて、他のものも楽しめるようなお店があったらいいなと思ったんです」と翔子さん。
そして「お店をやるなら、何か飲食を入れたい」と考えたときに、チヨコさんのパンが浮かんだのだそう。
「イベントで出店していたチコさんのパンを食べたときからすごく好きだったんです。でもそのあとチコさんは、ご主人のお仕事の都合で九州に行っていたんですよね。いよいよ、『シネコヤをいうお店を作るぞ!』となったときに、チコさんが鵠沼に帰ってくると聞いて、これはもう『チコさんにお願いしたい!』となったんです」と翔子さん。
まるで引き寄せられるかのように、鵠沼に帰ってきたチヨコさん。ちょうどチヨコさんも自分の工房を持ちたいと考えていたそう。偶然というより、もはや運命を感じずにはいられないおふたりのお話。こうして、映画と本とパンのお店『シネコヤ』が誕生しました。
想いがつまった本が集う
『シネコヤ』には、映画本を中心に、小説や画集、詩集などさまざまな本が約3000冊あるそうです。翔子さんが本の担当スタッフの方とセレクトしています。なかには、近所のおじいさんや「セカンドブックアーチ*」という団体から寄贈してもらった本もあるそう。
*セカンドブックアーチ…茅ヶ崎にある、古本を回収して福祉施設に図書室を作ったり本を寄贈したりしている団体。
キネマ旬報は1970年代から2005年代まで、現在欠番なし!
「本担当のスタッフがいるので、その子と一緒に相談しながら『シネコヤ』っぽいものを選んでいます。テーマをよく聞かれるのですが、感覚的にいいなと思うものですね。
それから、本当にありがたいことに寄贈していただくことも多いんです。ご年配の方やリタイアされた方など、長年買い続けてきた本は捨てたくないし、売りたいわけでもない、でも家に置いておくにも場所をとりますよね…。だから、『シネコヤ』に置いておけば、他の人にも読んでもらえるし、自分もここに来ればその本に会えるからと、本をいただくことがあるんです。今後は『スタッフおすすめ本棚』も作ろうと考えています」と翔子さん。
いろんな方の大切にしていた本がこの空間に集まってきているんですね。
独学ではじめた、“酵母と育む”パン作り
続いてお話を伺ったのは『チコパン』のチヨコさん。もともとはご自身の家族のためにパンを焼いていて、お子さんのママ友やその知り合い、またその知り合い…と、その評判がどんどん口コミで広がっていったのだそう!
「ご近所のおじいちゃんおばあちゃんのお家にパンを焼いてお届けすることもありました。実際に届けに行くときに『パンを届けるついでに、牛乳も必要なら買って行きましょうか?』なんて、配達屋さんみたいに届けていました(笑)。地元だからそういうこともできるんですよね」とチヨコさん。
1階のカフェスペースでは、パンのイートインのみの利用もできます
定期便としてパンを焼いて届けるスタイルで続けていたところ、『IVY House(アイビーハウス)』から「マルシェに出てみない?」と声をかけられたのだとか。
「マルシェへの出店をきっかけにさらに『チコパン』が広がっていって。本当に、人が人を引き寄せて広げていってくれるということを体感しましたね。伝えてくれる人たちも本当にすてきな人たちばかりなんです」と笑顔で話すチヨコさん。
自家製酵母で使うのは、なんと水と干しぶどうの2つだけ!
チヨコさんのパンは、自家製酵母で作っています。酵母は、水と干しぶどうの2つだけでおこすというから驚き。
「だんだんと干しぶどうが上がってくるんですよ。季節によって変わりますが、酵母をおこすまでに、だいたい1週間くらいかかります」。
匂いをかいでみると、ふわっとワインのような香りがしました。香りも段階によって少しずつ違うのだそうです。
干しぶどうが上がってきたところ(写真左)
「この酵母液を元にパンの生地を作ってから、焼きあがるまでに十何時間かかるんですよね。今は設備も整っているのですが、自宅で焼いていたときは生地の温度を測りながら『暑くないかな?寒くないかな?』ってずっとつきっきりで見ていましたね。寒くて発酵が遅いときは、屋上に持っていって日向ぼっこさせてみたり。本当に、酵母と育むという感じで。でも逆に私が育てられているのかもしれません」とチヨコさん。
時間をかけて焼き上がるパンは、すべてチヨコさんがひとりで焼いています。それは、昔から変わらないチヨコさんのスタイル。
「自分で責任を持って全部きちんと見てゆきたい。パンの丸め方も水分量や乾き方も、季節によって違うんです。天然酵母のパンは、ゆっくり長く、経過を見て焼き上げてあげる。だから、焼き上げたあとも、熟成が進んでいると思うんですよね。焼きたてももちろんおいしいんですけど、数日経つとまた違ったこなれた味がします」。
この『シネコヤ』の建物には、偶然にも酵母菌がたくさんいるらしく、キッチンと酵母の相性がすごくよいのだそう!
独学でパンを作り続けてきたチヨコさんの作るパンの生地は、国産の小麦・きび糖・小笠原の塩・水、そして自家製酵母ととてもシンプル。
「日々の暮らしで、ごはんと同じくらいに食べても飽きないもの、飽きないパンを作りたいなと思ったんです。だから、いろんなパンを焼いているなかでも『カンパーニュ』と『食パン』は私の中ではメインのパンなんです。ひとつのものを切り分けてみんなでシェアして食べるというのが、すごい好きなんですよね。パンを分けて、幸せを分けるみたいに“口福”をどんどん広めていければ、みんなが幸せになるし、自分も幸せになるので。そういうベーシックなパンはずっと作り続けていきたいですね」と教えてくれました。
サンドイッチにキッシュも!ランチプレート
お店でいただけるランチプレートは3種類。「キッシュプレート」、「サンドイッチのプレート」、「スーププレート」です。今回は、「サンドイッチのプレート」をオーダーしました!
「サンドイッチのプレート」は日替わりでハムチーズかツナサンドの2種類。訪れたときは、ハムチーズでした。ハムは、『シネコヤ』と同じ通りにあるお肉屋さん特製のハムで、チーズはイタリアの24ヶ月熟生パルミジャーノ。シンプルな具材をサンドするのは、チヨコさんがメインのパンと話す「カンパーニュ」です。
一見、ハードなパンを想像していましたが、ひと口頬張ると包み込むようなやさしい食感に驚き。厚めにスライスされた「カンパーニュ」は、もっちりそしてむっちりとしていて、食べ応え満点。ほのかに感じる甘さもたまりません。おいしさがこの1枚にギュッと詰まっているのを感じます。ハムとチーズというシンプルな具材と合わせるからこそ、パンそのものの味も存分に楽しめるんですね!
あっという間に売り切れてしまうというキッシュ
2月からはじまったキッシュプレートも大人気。焼き上がると、あっという間に売り切れてしまうほど!「パン屋なのかキッシュ屋なのか(笑)」とチヨコさんも笑っていました。具材はそのときどきで変わるそう。ホールでの注文もできるので、その際はご予約をお忘れなく。
ひと言から生まれた「シネコヤあんぱん」
焼印も毎朝1つずつ押しています
『シネコヤ』の焼印がかわいらしい「シネコヤあんぱん」。このパンは、翔子さんの「映画を見ながらパン、あんぱんが食べたいな〜」というつぶやきから誕生したそう。
あんは、鎌倉の老舗和菓子屋『大くに』さんに、特別に甘酒入りのあんを作ってもらっているそう。甘酒もチヨコさんのパンも発酵つながりで合うのだとか!さっぱりとした甘さのこし餡の「シネコヤあんぱん」は、女性にも男性にも大人気のパンです。
翔子さんのつぶやきをはじめ、どういうパンが食べたいのかできる限りお客さまと話して聞いているというチヨコさん。
「材料も顔の見えるところで仕入れて、私が作るパンもお客さまにもきちんと顔を見ておわたしするという、最初に始めた配達の基本的なものが自分の根底にあるので、それは絶対に忘れたくないんです。
それに、いろいろお話ししているなかで、『○○なパンが食べたい』という声をいただくと、私自身も作りたくなっちゃうんですよね(笑)。お客さまや家族の声を聞きながら、これからもひとつひとつ大切に作ってきたいなと思っています」。
4月でちょうど1年を迎えるので、記念のパンを出そうと“おいしい企み”をしているそう。これからもどんなパンが登場するのか楽しみです。
新しいのに懐かしい、落ち着ける場所
入り口で迎えてくれる、写真館の壁紙をアレンジした棚
常連さんが来るたびに描いてくれるというお店のスケッチ
「新しいのに懐かしいというような、そんな空間を作りたいなと思っています。懐かしいというのは、きっとこの建物の空間が持っている魅力でもありますね。実はこのシート(写真)、横浜のミニシアターがシートを新しくするタイミングで、解体のお手伝いに行ってスタッフの子がもらってきたんです。
懐かしさ、レトロな感じが好きなのでそういう雰囲気を出せたらいいなと思っています。本もその年代によって、時代の色が見えておもしろいんですよね」とたのしそうな様子の翔子さん。
オープンしてからもうすぐ1年を迎える『シネコヤ』。不定期でテーマを決めて映画や本を紹介していたり、毎月1回映画や本について語らう「おしゃべり考房」というイベントを開催したり。これからも、いろんな“おいしい&すてきな企み”がありそうです。
新しいのに懐かしいという体験はもちろん、おいしいパンとともにのんびり自由に過ごす時間と空間を味わいにぜひ『シネコヤ』へ足を運んでみてくださいね。
- ■お店情報
- シネコヤ
- 住所:神奈川県藤沢市鵠沼海岸3-4-6(鵠沼海岸商店街 旧カンダスタジオ)
- TEL:0466−33−5393
- 営業時間: 9:00〜20:00
- 定休日:水曜日
※記事の内容は取材当時のものです。 最新の情報は、お店のHP、SNSなどをご確認ください。
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